世界遺産に登録されている「園比屋武御嶽石門」

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、2000年に世界遺産に登録されている。

 

この石門は首里城正殿に行く途中にあることから、ここは無料で見学できるスポットである。

 

琉球王国時代の国王が城外に出かける際に、往路帰路の安泰を祈願した拝所である。

 

園比屋武御嶽石門は守礼門と歓会門の中間にある石門で、守礼門の後方左側にある石門と周辺のハンタン山を総称して「園比屋武御嶽」ともよぶ。

 

沖縄戦によって壊滅的に破壊されてしまったものの、戦後復元されている。

 

御嶽とは古来から信仰の対象とされてきた場所で、村落や共同体ごとにある聖域で、伝統儀式や農耕行事の儀式なども御嶽で行われてきた。

 

琉球王府の最高位の神女の聞得大君の就任儀式「お新下り(おあらおり)」が斎場御嶽で行われる際にも、ここで祈願したと伝えられている。

 

また琉球王府の行事で沖縄南部の拝所を巡る「東御廻り(アガリウマーイ)」でも、ここに最初に足を運んだといわれており、まさに琉球王国ゆかりの聖地であるのだ。

 

拝むべきは門の後の森であり、この門の先は聖地と考えられているのである。

 

戦後は門の後ろに学校が建設され、面積こそ小さくなったものの今でも参拝者の絶えない場所である。

園比屋武御嶽石門の歴史

石門が創建されたのは、1519年の第二尚氏王統の3代目・尚真王の時代である。

 

この石門を手掛けたのは、竹富島出身の西塘(にしとう)と呼ばれる人物である。

 

この人物は1500年、琉球王府が石垣島を平定した際に、竹富島から捕虜として首里に連れてこられた少年と言われている。

 

石工技術に非常に優れた人物であり、その功績が評価されて琉球王府の代官である武富大首里大屋子にまで任命されている。

 

しかし沖縄戦によって、園比屋武御嶽石門は破壊されてしまい、現在見られるものは1957年に再建されたものである。

 

扉を除いてすべて石造の平唐破風門であるが、中央の火炎宝珠や両妻飾りに懸魚(げぎょ)と呼ばれる火伏せるおまじないの魚が彫刻されている。

 

まさに木造建築の特徴を取り付けた造りとなっており、1972年には国指定史跡に登録されている。