自然の地形を巧みに活かした城

沖縄県中部のうるま市にある勝連城跡は、平成12年(2000)12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されており、沖縄の一大観光スポットとして知られている。

 

勝連城跡は石灰岩の石垣が巡らされており、最高部の一の曲輪がもっとも高い場所にあり、北部の山々、うるま市の離島、知念半島、久高島、中城城跡などを一望できる。

 

そして二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪と階段状に次第に低くなっていく構造となっている。

 

この城は、東西に延びる標高60メートルから98メートルの丘陵上の地形を活かし、空にも海にも近い絶好のロケーションは、これぞ沖縄といった風景を楽しめる。

 

一方でこのお城は、京都に例えられるほどにその繁栄を築いたお城でもある。

 

そこで今回は、この勝連城跡の歴史とその繁栄についてご紹介していきたい。

 

阿麻和利と勝連城跡

築城年数の正確な時期については諸説あるものの、12世紀ころに築城された沖縄の中ではもっとも古いお城であると考えられている。

 

そして次第に勢力を増していき13世紀から14世紀に琉球王国が繁栄をしていく中で、その規模も拡大していき、10代にわたって地方の有力な豪族を意味する按司(あじ)が住んでいた。

 

そして国王に最期まで屈することのなかった、10代の城主・阿麻和利の時代になると、勝連城跡はその勢力をどんどんと増していった。

 

海に近いロケーションを活かし、盛んに中継貿易が行われるようになり、経済力と軍事力を着実につけていったのである。

 

しかし一方でそれは、琉球王国からにらまれた存在となっていた。

 

阿麻和利は琉球統一を目指していたが、1458年に琉球王府の反撃で攻め滅ぼされてしまうのである。

勝連城跡の繁栄

勝連城跡がいかに繁栄していたかは、城内の出土品がそれを物語る。

 

中国の製陶器や防御施設の柵列が多数発見されており、このエリアにはたくさんの人が暮らしており、指導者がいたことを物語る。

 

勝連城が築城された13世紀頃からは要塞として機能していたと考えられている。

 

また勝連城跡では、瓦が多数出土している。

 

沖縄のグスクにおいて瓦が出土したのは他に首里城と浦添城のみであり、王府に引けを取らない勢力を持っていたと考えられている。

 

その繁栄の様子については首里王府によって編纂された沖縄最古の歌謡集・「おもろさうし」にも記されており、学者によっては首里とは異なる独自の文化を築いていたという説もある。

 

また城跡からは貝塚も発見されており、かつては古代人の生活の拠点であったこともうかがえる。