伊是名城跡の歴史

伊是名島は沖縄北部にある周囲約16キロの離島であり、沖縄本島の今帰仁村の運天港からフェリーが運航されていており約1時間ほどでアクセスできる。

 

伊是名城跡は伊是名島の南東にあり、はっきりとした築城時期が分かっていないものの三山を統一した尚巴志王の祖父鮫川大主により、11世紀〜14世紀ころに造られたと伝えられている。

 

ここ伊是名城跡を遠くから眺めると二等辺三角形のピラミッド型をしており、石山全体がお城とした築城されていることがわかる。

 

まるで自然の要塞のようで三方を海で囲まれていることから難攻不落の城とも言われていた。

 

城の東側に山頂に続く道があり、城跡の頂上からは海を一望でき格別に美しい眺めを見ることができる。

 

標高は約70メートル、敷地面積は220uと非常に狭く、石門や石段だけが残されている。

 

観光地としてはややマイナーな場所であり、見学は明るい時間帯がおすすめである。

 

また山頂に続く道は足場が悪いところもあるので、歩きやすいスニーカーなどがおすすめである。

伊是名玉御殿の歴史

伊是名城跡となっている広い公園の正面に位置している。

 

琉球王国第二尚氏王統に深い関わりのあるお墓である。

 

とても大きなこの墓は伊是名島出身である、第二尚氏王統の開祖・尚円王を葬っている破風型の陵墓で、左側が尚円王の家族、右側が尚円王の親族が眠っている。

 

このお墓が築かれた時期については1688年頃、息子の尚真王の代に首里の玉陵造営後、現在のようなお墓に重修されたと言われている。

 

お墓の厨子石棺は中国産の輝緑岩で作られており、昭和33年に現在のような県指定文化財に指定されている。

 

伊是名玉御殿は15段の急な階段を登った先にあり、まずは大きな石門が見えてくる。

 

そこを潜ると大きな岩があり、さらにそこを背にしてお墓がある。

 

清明祭りの際には、お墓の前にたくさんのお供えものや琉球王府に関わりのある祭器なども並べられ、非常に厳かな雰囲気の中関係者によって執り行われる。

 

沖縄で行われる清明祭は、ここ伊是名島の清明祭が終わってから行われることになっており、まさに沖縄でもっとも早い清明祭が行われるというわけである。