三山時代における南山
琉球の歴史の中で「三山時代」とよばれる時代があり、南山・中山・北山の3つの国に分かれていた。
中山城は首里城、北山城は今帰仁城がその拠点であったことが知られているが、南山城は高嶺城、もしくは島尻大里城や高嶺大里城などと言われる。
14世紀のはじめころ、大里按司承察度が周辺按司を支配し南山王国を建立しており、南山城跡はその国王の居城跡である。
南山王は承察度、汪英紫、汪応祖、達勃期、他魯毎と続いていくが、承察度には子供がなかったため、没後は従兄弟の汪応租が後継者となっている。
汪応租は1372年、朝貢して冊封されており合計で22回朝貢した記録が残されており、約50年間続いていたものと考えられている。
しかしその2代後の他魯毎の時代になると中山王の尚巴志によって滅ぼされ、やがて三山統一の時代を迎えるのである。
南山城跡と南山文化
南山城跡は沖縄南部の糸満市の高嶺小学校の正門横にあるグスクで、地元では南山グスクとも言われ、南山城の遺跡の一部が残されている。
南山城は12世紀後半に築城されたもので、発掘された陶磁器などの遺物から14〜15世紀にかけて栄えていたと言われている。
石垣の一部は残されているが、場所によって異なる積み方をしておりいろいろな技法を見ることができる。
他のグスクに見られるような立派な郭などは残されておらず、その跡地には小学校が建てられている。
南山城跡には南山神社があり、グスク内に神社あるのは珍しく感じる人も多いかもしれない。
この神社は1913年に小学校が移転する際に、石垣や遺構などを破壊しており、城内にあった拝所やお墓などを一つにまとめて祀ったのが南山神社である。
また城内には「沖縄の名木百選」に選ばれたガジュマルが群生しており、見どころの一つとなっている。
1984年の発掘調査では、中国製陶磁器や土器、備前焼きスリ鉢、鉄鏃(てつぞく)、ガラス製勾玉などが多数出土しており、明国との貿易を積極的に行い、南山文化を築いていたことが分かる。
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