首里城最大の見どころ「首里城正殿」

首里城は沖縄を代表する観光スポットであり、2000年にはユネスコの世界遺産にも登録されている。

 

首里城正殿は首里城最大の見どころとなる場所であり、琉球王国最大の建物でもある。

 

琉球国王の居城として政治、経済、文化の中心として機能していた場所である。

 

首里城正殿は国殿もしくは百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれ、これは全国を支配するお城として重要な建物であったことを表している。

 

首里城正殿は中国が位置する西向きに建てられていることがその特徴であり、これは宗主国であった中国に対して敬意を表していることも意味している。

 

正殿の建築は中国の影響を受けている部分もあるが、構造や細部の意匠には日本の建築を取り入れており、琉球独自の文化を見ることができる。

「首里城正殿」の構造

おせんみこちゃ

おせんみこちゃ

中山世土

中山世土

首里城正殿は発掘調査によって創建は14世紀末ころと推定されており、その後数回の焼失、再建が繰り替えされている。

 

現在見られる正殿は18世紀はじめに再建されたものがモデルとなっており、沖縄戦で焼失するまで残っていたものである。

 

建物は二層三階建で1階は下庫理とよばれ国王自ら政治や儀式を執り行う場所、2階は大庫理とよばれ国王や親族、神女たちが儀式を執り行う場所であった。

 

2階南東隅にある「おせんみこちゃ」とよばれる部屋は国王みずから女官とともに毎朝東方に向かって拝んでいたところである。

 

「御床」は神棚として神霊が祭ってあり、女官は抹香を焚いて「火の神(ヒヌカン)」などを拝礼していた。

 

身分の高い神女の任命儀式なども国王、王妃臨席のもとにここで行われていたのだ。

 

18世紀の正殿の修理記録には「御床」の両脇の柱は黒塗り、壁は黄塗と記されている。

 

また同じく2階にある「唐破豊」と呼ばれる部屋は、正月の儀式や中国の皇帝へ親書(上表)を送る時などに国王が唐衣装で椅子に座り、諸官とともに儀式を執り行った場所である。

 

御庭からこの部屋を眺めると、唐破風造の屋根や龍の飾りに囲まれた格式ある空間となっている。

 

また2階の「御差床(うさすか)」は国王の玉座としていろいろな儀式や祝い行事が行われていた場所であった。

 

儀式の際には床の間に香炉、龍のロウソク台、金花、雪松などが置かれ、壁には孔子像の絵が掛けられていた。

 

檀の形式は寺院の御本尊を安置する「須弥檀」に似た構造を持ち、羽目板にはブドウとリスの文様が彫刻されている。

 

部屋の上部にはかつて中国皇帝から贈られた御書の扁額がいくつも掲げられていたが、沖縄戦で全て焼失している。

 

現在では古い記録をもとに康熙帝の贈った「中山世土」、雍正帝の贈った「輯瑞球陽」、乾隆帝の贈った「永祚瀛?」の三つの扁額が再現され飾られている。

 

急な階段を登った先が3階になり、ここは通風を目的とした屋根裏部屋であり、内部は色彩がなく、柱は八角形で1階と2階と比べると細いものが使われている。