3つの国から成り立つ三山時代
今帰仁城跡
三山時代とは琉球の歴史の中の一つの区分で、1322年〜1429年までの時代をさす。
14世紀頃になると地方の豪族である按司(あじ)を率いる王が現れ、3つの国を形成していたのである。
それぞれ南部の南山、中部の中山、北部の北山と呼ばれ、次第にこれらの国々が、沖縄統一を目指して争うようになっていくのである。
南山の本拠は島尻大里城、中山の本拠は浦添城、北山の本拠は今帰仁城にそれぞれ構えていた。
つまり三山時代とは、これらの3つの勢力が約100年にわたって争いを繰り返し、やがて琉球王国が誕生するまでの間の時代を呼ぶのである。
もっとも勢力のあった中山の察度
この3つの中の勢力で、もっとも力を握っていたとされるのが中部の中山(ちゅうざん)であり、1350年、察度(さっと)の即位にはじまる察度王統の時代には中国との貿易を盛んに行うようになっていった。
特に中国から冊封とよばれる形で支援を受け、強固な政権体勢を目指していったのである。
1372年には、中国の明朝へ貢物を納めた記録が残されており、これが琉球王国における中国の明朝との正式な貿易のはじまりと言われている。
そして中山の歴代王たちは中国との交流を盛んに行い、安定した国造りを目指していたのである。
琉球王国の誕生
しかし察度の死後、次第に中山は弱体化して行き、2代56年でその幕を閉じることとなる。
そんな中次第に勢力をつけてきたのが、後に琉球王国の統一を果たす中山の尚巴志(しょうはし)であった。
中山の本拠地を浦添から首里に移し、中国との貿易も積極的に行うようになっていったのである。
貿易を盛んに行うようになると経済力や軍事力を付けるとともに、特に鉄の農具の普及につとめていた。
それは農業の効率化に結び付き、さらに農業生産も飛躍的に伸びていき、人々から慕われた存在となっていったのである。
そして中山は着実に軍事力をつけていき、北山の拠点であった今帰仁城を1416年に攻め落とし、さらに1429年に南山を制し、はじめて沖縄本島を統一したのである。
これが琉球王国の幕開けであり、新時代がスタートすることになるのである。
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