琉球王国時代の位階の歩み

琉球の位階とは琉球王国の身分序列であり、第二尚氏王統時代、第三代尚真王の治世においてその基本が確立されたといわれている。

 

1509年には「金銀の簪」によって身分の高い人と低い人に分ける貴賤の別を定め、さらに1524年に「六色の冠(ハチマチ)」によって等級が制定されている。

 

その後1706年に「琉球国中山王府官制」が制定され、九品十八階の位階制度が確立し、1732年には位階昇進の細かい項目を定めた「位階定」が制定されている。

 

国王、王子、按司などの王族は九品十八階のさらに上に位置し、最高位とされた。

 

このいわゆる身分序列「位階」は、中国や日本からの影響が非常に大きいものであり、そこから琉球独自のものを制定していった性格が伺える。

4つの階級に分けられる「位階」

位階の制度は主に4つの階級に身分が分かれている。

 

王族(思い子部・按司部)、上級士族(下司)、一般士族(ブンニン)、平民(百姓)である。

 

一般士族は努力次第で上級士族になることもできたが、それはかなりレアなケースでありよほどのことがなければ難しかったと言われている。

 

また平民(百姓・筆算人)から士族への昇進はほとんどなかった。王族(思い子部・按司部)の称号は「王子」もしくは「按司」で、いずれも住まいは御殿であった。

 

王族は九品十八階の更に上位に位置しており最高品位にあたる。

 

王子や按司は国王の親族であり、直接政治に関わることは少なかった。

 

上級士族(下司)の中でももっとも位が高かったのが「親方」とよばれる身分で、原則として一間切を采地(領地)として賜り、総地頭と呼ばれた。

 

また親方は国政に関与するとともに、世襲でなく功績のある士族に与えられる実力が問われる位でもあった。

 

しかし全体的にはその大半が世襲としていることも実際には多かったと言われている。

 

一般士族とは采地(領地)を持たない無録士であり、琉球では「ブンニン」と呼ばれた。

 

一般士族には「里之子家(里之子筋目)」と「筑登之家(筑登之筋目)」という二つの位があり、里之子家は「中級士族」、筑登之家は「下級士族」に相当する。

 

そしてもっとも下の身分に当たるのが平民(百姓)であり、首里・那覇・久米村・泊村に住んでいる場合は「町百姓」、それ以外の地域は「田舎百姓」と言われた。

 

百姓のうち、「筆算人」とよばれる地方役人の身分もおり、上級役人になると「オエカ地(オエカ人とよばれる地方役人に与えられた土地)」が与えられることもあった。