琉球王家最大の別邸とその歴史
識名園はシチナヌウドゥンと呼ばれ、琉球王家最大の別邸で首里城の南に位置していることから、「南苑」と呼ばれた。
識名園が完成する前に、王家の別邸として1677年に、首里の崎山村(現・首里崎山町の首里カトリック教会)に御茶屋御殿が造られた。
首里城の東にあったことから「東苑」と呼ばれており、南苑はそれに対する呼び名である。
造営の時期についてはっきりとしたことは分かっていないが、第二尚氏王朝時代に始まったものと考えられており、尚温の時代の1799年に完成していたと考えられている。
1941年(昭和16年)には国の名勝に指定されているが、1945年(昭和20年)の沖縄戦によって壊滅的な被害を受けた。
そして1975年(昭和50年)から約20年もの歳月をかけ、総事業費7億8千万円を投資して復元整備が行われた。
実際にはすべての復元を果たしたわけではないが、琉球王国時代から癒しの場所として、王家や外国の人から愛されていた庭園であり、今でも沖縄の人たちの癒しの空間となっている。
さらに1976年(昭和51年)には名勝、2000年(平成12年)には国指定「特別名勝」に指定されている。
2000年(平成12年)には、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された。
1999年(平成11年)以降は、毎年文化の日にあたる11月3日に識名園歌会が開催されており、11月の第4日曜には、沖縄の伝統芸能を披露する場である「識名園友遊会」が行われている。
おもてなしの場所としての空間
御殿
識名園は琉球王家の人々の保養や、中国からの使者(冊封使)や外国使臣の接待などに利用され、いわば迎賓館として機能していた。
琉球王国時代において、中国との貿易はとても重要なものであり、中国と友好的な関係を築くことは、貿易や外交を円滑に進めていく上で欠かせないことであった。
中国からやってきた冊封使は、約半年ほど滞在していたという。
つまり冊封使に対するおもてなしはとても重要であり、冊封使や国王が滞在した御殿においては、現在は入ることができない玄関から入っていたのだ。
御殿周辺には高い木が多数植えられており、非日常へ誘うかのような演出は見事である。
御殿には15もの部屋があり、滞在する一番座の部屋かからは絶景を一望できるように工夫がなされていた。
まさにゆっくりと寛ぐのには最適な空間が広がっていたのだ。
御殿には高級木材がふんだんに使われており、細部に至るまで、徹底したこだわりを見ることができる。
建築様式とその魅力
回遊式庭園
識名園は中国と沖縄独自の様式が融合した折衷様式で建築されており、池の周りを歩いて景色の変化を楽しむ回遊式庭園である。
「心」の字をくずした「心字池」とよばれる池を中心に、六角堂や石橋、琉球石灰岩などが配されている。
基本的には日本庭園の様式を取り入れているものの、中国様式との融合が絶妙であり、それこそがこの庭園の魅力でもある。
沖縄ではいろいろなものを混ぜることを、料理にもある「チャンプルー」と表現するが、まさに融合した美の演出が見事である。
その美しい庭園故に、明治時代に訪れた外国人の中には「識名園は宝石をちりばめた箱庭だ」という名言を残した人もいたという。
かつての識名園には、春の梅、初夏の藤、秋の桔梗と、常夏の島でありながらも四季の移ろいを感じることができようになっていたが、現在では沖縄らしい南国の花、果樹園、バナナ園などがあり、南国らしさを感じることができる。
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