太平洋末期の沖縄戦

沖縄戦は1945年3月26日から始まった、太平洋戦争末期に行われた戦争で同年の6月20日ないし6月23日に終了している。

 

南西諸島に上陸したアメリカ軍を率いる連合軍と、日本軍との間で行われた戦いで、アメリカ軍の目的は日本本土を侵略するための航空基地の確保にあった。

 

沖縄戦は一般住民を巻き込んだ激しい地上戦であり、20万人以上もの犠牲者が出ており、そのうちの9万4千人が一般住民でありその戦闘の激しさを物語る。

 

またサイパン島やテニアン島などで犠牲となった人も多かった。

集団自決が多かった沖縄戦

相手からの攻撃によって命を落とすこともあるが、それだけではなく集団自決が多かったことをも沖縄戦の特徴の一つである。

 

小さい島であることから逃げ場所がなく、行き場所を失った住民たちは「集団自決」に追い込まれるのである。

 

軍隊から予め自決用に手榴弾が支給されており、それを使って家族を囲み爆発させて死に追い込むこともあれば、手榴弾がうまくいかなかった場合には、家族が家族を殺すという、今では到底考え難いことが当たりまえの時代であったのであったのだ。

沖縄戦の開始

沖縄撰の開始は、今では美しいダイビングスポットとして知られる慶良間諸島、米軍上陸が開始された。そして沖縄本島への戦闘が開始されたのは、4月1日の朝の8時半からであった。

 

米軍の規模は45万人、上陸部隊は18万人と壮大な規模であり、米軍にとっても最大希望の上陸作戦であったという。

 

海岸には数百もの艦船と上陸艇で埋め尽くされ、海が見えないほどであったと伝えられている。

 

アメリカ軍は当初は沖縄に軍事基地を作る計画で、上陸をする際は戦艦から、さらに飛行機から、徹底的に攻撃をしたのである。

 

日本軍は当然ながら反撃をしてくると予想していたものであるが、米軍が予想したいたよりも攻撃が少なくあっさりと上陸できてしまったのである。

 

そして上陸を終えると、史上稀に見る激闘が展開され首里から司令部が摩文仁に移され、6月20日に陥落している。

 

そして当時の最高司令官であった牛島が6月23日に自決をしており、これが沖縄戦の終わりとされている。

 

この日は今では「慰霊の日」に指定されており、慰霊者たちを偲ぶ行事などが行われている。