久高島に伝わるイザイホー
久高島
神の島といわれる沖縄南部の久高島は、独特の歴史を歩んできた島である。
また久高島は琉球開闢の神といわれるアマミキヨが最初に降り立った島とも言われており、まさに沖縄の原点ここにある。
今でこそ定期船が運航されているものの、戦前までは定期船もない完全な独立した島であった。
魚介類が豊富に獲れ、果物や薬草が自生しており、農業を営み、自給自足の暮らしをしていた。
久高島には、古来から「男は海人、女は神人」とよばれる諺がある。
これは久高島では男は成人したら漁業に携わり、女は神女になるという意味だ。
琉球信仰の基盤がここにあり、既婚女性はすべて神女となるのである。
故に、島には古来から島独特の信仰や行事が約30伝えられており、その一つが「イザイホー」よばれるお祭りである。
イザイホーは600年以上もの歴史があると言われており、来訪神信仰の形態は、日本の祭祀の原型と考えられている。
イザイホーの行事
御殿庭
イザイホーとは、ニライカナイとよばれる楽土から神をお迎えてして、神女をその神々に認めてもらい、島から去っていく神を送るものである。
イザイホーは12年に1度、旧暦の11月15日の満月の日から4日間かけて行われる。
11月15日には夕神遊びといい、神女が祭場である御殿庭(うどんみや)に集まり、拝殿を旋回し、神歌を歌い、奥の森に入っていく行事が行われる。
そして拝殿の前には七つ橋とよばれる橋があり、ここでつまずいてはならないといわれている。
つまりここでつまずくことは、何らかの悪事をしたためによるものであると伝えられており、神女にはなれないというわけだ。
そして11月16日には、神女が昨日のままの洗い髪(カシラタレ)で三重の円陣を組み踊る「カシラタレ遊び」、11月17日は神女が先輩の巫女と同等になる「花差し遊び」が行われる。
11月18日には、巫女と男性が綱引きをする「アクリヤー綱引き」が行われ、神酒を飲み、祝いの宴会が行われて、イザイホーを締めくくる。
イザイホーの参加資格
この神女とは、久高島に生まれ育った30歳以上の女性ではないと参加できないという、非常に厳しい条件がある。
基本的には島に在住している、要件を満たす全ての女性が参加していたという。
戦前においては、もっと厳しいルールがあり、久高島から一歩も外に出たことがなく、かつ両親も夫も久高島出身であるものだけに、参加資格が与えられていた。
この神女のことをナンチュといい、70歳になるまでに、島の祭祀に携わっていく役目がある。
神女となった女性たちはご先祖の霊とともに、漁師として働く男たちを守り続けてきた。
実際に久高島の男が乗る船は、一度も沈まないという言い伝えもある。
後継者問題
戦後は、男は就職口を求めて、島の外に働きに出るようになり、女も島の外へ出て働いたり、嫁いでいくようになった。
そしてイザイホーは1978年に行われたことを最後に、1990年、2002年、2014年とその後は全て中止されている。
祭祀を行うノロ(祝女)の不在や、神女の不足、島の外への移住者が増えるなどにより後継者が不足したことによるものである。
1978年にイザイホーが行われた際には、これまで島でひっそりと行われてきた祭祀であるが、ノロの働きかけによって一般に公開され、多くの民俗学者たちから関心を寄せ、実際にその際には記録映画の撮影も行われている。
しかしそれ以降中止となってしまったことから、神に中止の許しを願う「わびの拝み」も行われており、2014年の中止が決定した際には、経験者から直接受け継げる最後のチャンスであったと区長が述べている。
今では島の人口は約200人ほどまで減少している。
しかしその手付かずの自然やその神秘を求めて、訪れる観光客も増えてきている。
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