先祖供養を意味するエイサー

エイサー祭りとは沖縄の盆踊りのことで、旧暦のお盆にあたる7月15日に行われる。

 

沖縄のお盆は7月13日〜15日で、15日はお盆の最終日だ。

 

この日を沖縄ではウークイといい、お盆の間、あの世から帰ってきたご先祖たちを、またあの世へのお送りする日のことをさす。

 

エイサーは、つまりこのウークイ(お送り)の夜に踊ることが習わしであるが、近年では13日の「ウンケー(お迎え)」から連続で行われることが多い。

 

ご先祖たちは、13日の「ウンケー(お迎え)」で、あの世から下界にやってくるのであるが、ご先祖たちはなかなか帰りたがらないという。

 

そこで太古を叩いてあの世へ送りだすことが、その成り立ちである。

 

エイサーは先祖供養、家庭の無病息災、家内安全、心願成就、繁栄などを祈るための行事である。

エイサーの歴史

エイサーはもともと東北出身の袋中上人が、1603年から3年間首里で浄土教の普及活動をしたことがそのはじまりである。

 

そして次第に首里王府の貴族たちの間では、いわゆる念仏が広まっていった。

 

18世紀半ばには、お盆に念仏を唱えて先祖供養をする「念仏にゃー」(にんぶちゃー)」が行われていた記録が残されている。

 

明治以降になると、一般庶民の間にも念仏の詠唱を若者たちが唱え、エイサーが次第に普及していった。

 

そして次第に沖縄全土に広まり、琉球民謡を交えながら発展していったのである。

 

「念仏にゃー」は大正末期にはすでに消滅しており、このころのエイサーでは太鼓が使われることは少なかったようだ。

 

またエイサーは、浄土宗の念仏に挟まれる囃子に「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」があり、これに由来していると考えられている。

戦後の発展

戦後のエイサーは、それまでの形式とは異なり、全国的に発展を遂げていった。

 

そのきっかけとなったのが、1956年された全島エイサーコンクール(現・沖縄全島エイサーまつり)である。

 

これはいわばエイサーの踊りを競い合うコンクールであったことから、審査員や観客たちに見せるという性質に変わっていくようになった。

 

そして技、衣装、踊りなどに工夫を凝らすようになり、派手なスタイルへと変わっていったのである。

 

女性の手踊りが華を持つようになったのもこの頃からであるといわれており、沖縄全島エイサーまつりは、より華やかな形式へと変わっていった。

 

沖縄市は2007年6月13日、「エイサーのまち」宣言をし、市や沖縄全体の活性化に尽力を注いでいる。

 

現在では、1990年代ころから沖縄出身者によって構成されるエイサー団体によって、全国でエイサー祭りが行われるようになっており、県外の人からも親しまれている。

 

またアメリカなどの海外でも踊られたこともある。

エイサーの踊り

エイサーの隊列は、歌い手の地揺(三線弾き)や太鼓を中心に、その周りを踊る円形舞踊が一般的である。

 

近年は、縦列や横列など、円形ではない変化のある形式のものもある。

 

踊りの隊列は旗頭、太鼓、小鼓、男女の手踊り、三線、地揺と続く。

 

旗頭は団体名が書かれた非常に重い旗を持ち、他の団体に負けじ旗を掲げる。

 

見どころは女性たちの手踊りだ。男性のダイナミックな踊りとは反対に、華麗な手の動きは女性らしい繊細さと美しさを見ることができる。

 

地揺は三味線と唄を担当する男性で、地元で歌のうまい人が担当する。

 

また地域によっては隊列とは別に、京太郎(チョンダラー)、三郎小(サンラーグワァ)、中脇(ナカワチ)と呼ばれる道化役によって、より盛り上がりを見せることもある。

 

京太郎は踊り手を鼓舞し、隊列を整える役目があるのだ。

 

また道化師の踊りにはストーリー性があり、中には先祖供養のためのお酒を使った酔っ払い踊りとよばれるユニークなものもある。