「徒手空拳術」と「武器術」

琉球の古武術は、「徒手空拳術」と「武器術」の主に2つに分かれており、前者を空手と呼び、後者を琉球古武術と呼び一般的には主に武器術のことをさす。

 

古武術は、琉球古武道、沖縄古武道、沖縄古武術ともいう。

 

琉球古武術は 八種の武器(棒、サイ、トンファー、ヌンチャク、鎌、鉄甲、ティンベー、スルジン)を使用し、各々特色技を持つ。

琉球古武術の歴史

琉球古武術が歴史に登場するようになるのは、今から約700年前である。

 

琉球が3つに分かれていた按司の時代で南山、中山、北山の三山に分かれ、戦を繰り返した時代に遡り、その時代に使われた武器の使用法であった。

 

しかし琉球王国時代に入ると、「禁武政策」を行っており、刀剣類の携帯を禁止している。

 

そんな時代の中で、各種の古武術が首里・那覇の士族を中心に行われおり、正史「球陽」によると「槍棒の法あり」と記されている。

 

また17世紀に薩摩軍が琉球に侵入してきたのち、士族の間では古武術の稽古に力を入れていたのだ。

 

しかしこの時代はあらゆる武器を禁じる「禁武政策」がより強く意識されていた時代であり、古武術にいかに重きを置いていたのかが分かる。

 

そして17世紀以降、添石(そえいし)、 佐久川(さくがわ)、北谷屋良(ちゃたんやら)などの大家が現れ、まさに琉球古武術はピーク期を迎えることとなる。

 

しかし時代の変遷とともに継承者も少なくなり、わずかな継承者たちによって細々と保存されてきたのである。

 

大正初期、このような状況を憂慮し、琉球古武術研究会を興して、その琉球古武術の保存と振興に力を入れている。

 

また屋比久孟伝師の門下、 平信賢師は1940年(昭和15年)に保存振興会を創設している。

 

衰退している古武術の型を立て直すべく一つ一つの伝統を見直し、八種の武器を使用する約40の型を集大成している。

 

戦後においては比嘉清徳が中心となり、先代から長年に渡って全ての型を受け継ぎそれぞれの武器の編成している。

 

1961年(昭和36年)に保存と振興を目的とする沖縄古武道協会が発足し、多くの古武道家がこれに加わっている。