琉球開闢の神・アマミキヨ
アマミキヨの墓
アマミキヨとは、琉球の神話にたびたび登場する神のことをさし、別名アマミク(阿摩美久)、アマミキュとも言われる。
日本の本土とは異なる歴史を歩んできた琉球の国にとって、琉球開闢(かいびゃく)の祖として、沖縄各地で慕われてきた存在である。
アマミキヨは17世紀に記された書物「おもろそうし」や、1650年に編纂された「中山世鑑」にも登場しており、古来から崇められた存在であったことが伺える。
アマミキヨが実在したかどうかは諸説あるが、沖縄中部のうるま市にはアマミキヨの墓があり、実在したと考えるのに相応しいのかもしれない。
最初に降り立った久高島
久高島
アマミキヨが最初に降り立った場所こそが、沖縄南部の久高島であると伝えられている。
今でも約30もの特別な祭事が行われており、沖縄最高の聖地として親しまれている。
久高島と関わりの深い斎場御嶽ともに、歴代国王はここに巡礼する習わしがあり、これこそが久高島が神の島といわれる所以である。
天の最高神に命ぜられ、国造り、島造りの神として下界に送られてきたアマミキヨは、この島に降り立ち、草や木を植え琉球の国造りを始めたのだ。
まだ何もなかった久高島に、アマミキヨは持って来たシマグシナーという棒を使って天から土、石、草などをもらい、久高島の島造りをはじめたのである。
そして王国の祭祀にかかわる七つの御嶽とよばれる聖地を、沖縄各地につくったのである。
前述にある斎場御嶽もその一つであり、七つの御嶽は今でも沖縄の大切な聖地として崇められている。
そしてやがて男神シネリキヨとの間に3人の子どもが生まれ、人々が誕生していったと言われている。
農耕の神とも伝えられるアマミキヨ
また、、アマミキヨは一方で農耕を興した神でもある。
農耕を知らない人々のために天から五穀の種(麦、粟、豆、黍)をもらいそれを久高島に蒔き、この島から琉球王国に五穀をもたらしたのである。
さらに稲を沖縄南部、玉城地区の百名海岸近くの受水走水(うきんじゅはいんじゅ)に植え、ここは稲作発祥の地として知られる。
旧正月最初の丑の日には、「親田御願」とよばれる田植え行事が、今でも執り行われており、市の無形民俗文化財に指定されている。