伝統・文化記事一覧

久高島神の島といわれる沖縄南部の久高島は、独特の歴史を歩んできた島である。また久高島は琉球開闢の神といわれるアマミキヨが最初に降り立った島とも言われており、まさに沖縄の原点ここにある。今でこそ定期船が運航されているものの、戦前までは定期船もない完全な独立した島であった。魚介類が豊富に獲れ、果物や薬草が自生しており、農業を営み、自給自足の暮らしをしていた。久高島には、古来から「男は海人、女は神人」と...

沖縄のガジュマル亜熱帯地方に属する沖縄には、たくさんのガジュマルが点在している。ガジュマルとは、沖縄や屋久島に見られる常緑高木で、その高さは10〜20メートルにも及ぶ。根を四方八方に広がるその神秘的な姿は、まるで神のようであることから、幸せを呼びよせる多幸の樹とも言われる。ガジュマルが成長してくると、その特異的な姿はどこか自然の神秘さえ感じるものである。ガジュマルの語源は、「絡まる」や「風守る」か...

やちむん通り南窯「やちむん」とは沖縄の方言で「焼き物」を意味しており、その歴史は400年以上にも及ぶ。1682年に琉球政府は、美里村の知花、首里の宝口、那覇の湧田と各地に点在していた窯場を、那覇の壷屋に集めたことがこの「やちむん」の歴史のはじまりである。沖縄の国際通り近くに「やちむん通り」とよばれる、焼き物の工芸店やギャラリーが並ぶ通りがあり、どこかクラシカルな佇まいが人気の観光スポットとなりつつ...

琉球ガラスとは沖縄地方に伝わる伝統工芸品であり、吹きガラス製法で作られている。宙吹き法、型吹き法によって、数人によって製作されるものである。近年では観光客向けのガラス工房なども多数あり、ガラス作り体験をすることができる。沖縄はアジア諸国との貿易を琉球王国時代から活発に行っており、ガラス製品は比較的早い段階で沖縄に伝わってきていた。実際に円覚寺の開山和尚像の義眼には、ガラス玉が使われた記録が残されて...

エイサー祭りとは沖縄の盆踊りのことで、旧暦のお盆にあたる7月15日に行われる。沖縄のお盆は7月13日〜15日で、15日はお盆の最終日だ。この日を沖縄ではウークイといい、お盆の間、あの世から帰ってきたご先祖たちを、またあの世へのお送りする日のことをさす。エイサーは、つまりこのウークイ(お送り)の夜に踊ることが習わしであるが、近年では13日の「ウンケー(お迎え)」から連続で行われることが多い。ご先祖た...

中村家住宅中村家住宅は、沖縄中部の北中城村にある豪農の民家である。沖縄戦の戦禍を逃れた貴重な財産であるとして、1972年に沖縄の民家としては初となる国の重要文化財に登録されている。また沖縄返還前の1956年には、琉球政府からも重要文化財に指定されており、この住宅は約500年前の中村家の先祖賀氏(がうじ)の民家で、いわゆる富裕農家であった。賀氏は護佐丸が首里王府の命令に従って、読谷から中城城に移った...

沖縄ではご先祖祭りでもっとも大きいと言われるシーミー(清明祭)とよばれる行事があり、旧盆、ジュウロクニチに並んで三大行事の一つに数えられている。「シーミー」を地域によっては、「ウシーミ」と呼ぶ地域もあり、沖縄本島南部地域で比較的盛んに行われており、北部や八重山地方などはであまり行われおらず、それぞれ地域差がある。旧暦3月の清明の節に行なわれ、新暦では毎年4月の半ば前後にあたり週末を利用して行われる...

沖縄は「台風銀座」と言われることもあるほど、夏になると台風が多く上陸するエリアである。しかしそこは先人からの知恵を受け継ぎ、住宅の構造にはそれに対する備えや工夫も多くみられる。その工夫の一つといえるのが「瓦」である。沖縄を歩いているとよく赤い屋根の家を多く見かけるが、これは沖縄赤瓦や琉球赤瓦と言われ、沖縄産の赤い粘土瓦である。瓦自体はグスク時代からすでに使われていた記録が残されているが、しかし琉球...

アンガマとは八重山地方に伝わる儀礼的集団芸能の一つであり、旧盆の頃になるとどこからともなく太鼓、笛、三味線、ホーイホイという掛け声など賑やかな音とともに、念仏を唱えながら踊る集団を見かけるが、これこそがアンガマご一行である。これは八重山地方のみに伝わる旧盆の行事で、また同じ八重山地方でもまた地域によってアンガマの特徴が少しずつ異なる。もともと士族の間のみで行われていた行事であったが、明治以降になっ...

ハーリーとは漢字で「爬竜」と書き、旧暦の5月4日に沖縄各地の港で行われる、爬竜船を競い合うイベントである。この爬竜船を競い合うことで航海安全や豊漁を意味している。良く知られているものは、那覇ハーリー、糸満ハーレー、豊見城ハーリーなどがあるが、「ハーレー」と「ハーリー」という言い方があり、地域によってその呼び名が異なる。沖縄のハーリーのはじまりは諸説あるものの、中国福建省や広東省などで端午の節句に行...

琉球舞踊は琉球王国時代に確立された伝統の踊りであり、それは今もなお大切に受け継がれている。琉球王国時代、中国からやってくる冊封使をおもてなしするために創作された「古典舞踊」と、明治以降昭和時代までに創作された「雑踊り」とおもに2つから構成されている。古典舞踊では琉球王国時代の栄華や品位を描いており、老人踊り、女踊り、若衆踊り、二才踊り、打組踊りに分けられる。雑踊り沖縄芝居から誕生したもので、沖縄庶...

ここ沖縄には古来から運勢判断をする「サンジンソウ(三世相)」と呼ばれる易者おり、ムヌシリ(物知り)などと呼ばれることもある。この三世相とは過去、現在、未来を意味しており、これらを読み解きアドバイスをくれる人である。サンジンソウは陰陽道や高島暦、もしくは独自の占いの書物などに基づいて、運勢判断、家の引っ越しや新築、結婚、転職などの吉凶判断を行う。サンジンソウのほとんどが男性であり、中には霊的能力のあ...

沖縄の結婚式はとにかく余興が多いと言われており、フィナーレを盛大に飾るカチャーシーはなくてはならない存在である。カチャーシーとは沖縄の方言で「かき混ぜる」を意味しており沖縄を代表する手踊りで、頭上で手を左右に振って踊る様子がまるで「かき回している」ように見えることに由来している。踊る際は腕を伸ばして両手を上にあげ、男性は手を握り、女性は手を広げたままにするのが定番である。そして両手のひらを右に向け...

琉球料理は主に「宮廷料理」と「庶民料理」の2つに分けることができる。味や見た目は、日本本土と似ているものもあるが、沖縄独自の食文化に広く根付いているものであり、まさに古来からの伝統の上に確立されている料理である。宮廷料理はいわゆる琉球王国時代において、中国の使者である冊封使をおもてなしするための料理であった。国賓でも彼らを最高級に歓待するための料理であり、それはまさに中国からの影響がとても大きい。...

琉球の古武術は、「徒手空拳術」と「武器術」の主に2つに分かれており、前者を空手と呼び、後者を琉球古武術と呼び一般的には主に武器術のことをさす。古武術は、琉球古武道、沖縄古武道、沖縄古武術ともいう。琉球古武術は 八種の武器(棒、サイ、トンファー、ヌンチャク、鎌、鉄甲、ティンベー、スルジン)を使用し、各々特色技を持つ。

沖縄の民族衣装は、日本本土に和装があるように「琉装」といい、琉球王国時代に王族・士族のみが着用していた衣装のことをさし、琉球民族衣装の総称を沖縄の言葉で「ウチナースガイ」という。琉球王国時代は16世紀に身分制度が確立しており、身分や階級によって衣装の色や模様、布なども区別されていた時代である。王族とは、国王の親族や按司の位階にある者をさし、按司部(あんじべ)とも呼ばれ、士族は上級士族と一般士族に分...

旗頭とは沖縄中南部のお祭りによく登場するもので、村のシンボルであり守り神のような存在である。那覇ではエイサーや大綱引きなどイベントなどに登場し、全島旗頭フェスティバルなども行われる。綱引きは琉球王国時代に首里を中心に厄払いや疫病退散など祈願するお祭りとして始められたものであり、現在では五穀豊穣や海上安全などを祈願する性格を持つ。国際通りで秋に開催される大綱引きは、沖縄各地から約15基の旗頭が集まり...

ミンサー織りは沖縄の伝統的な織物の一つであり、その歴史は今から約400年前、17〜18世紀頃の琉球王朝時代に綿の交易記録があり、沖縄で綿花が栽培されるようになったことがその始まりである。素材は木綿で、厚みがありしっかりとした織物で、どこか素朴な雰囲気がある。ミンサー織はビルマ、スマトラ、ジャワからチベット、さらに中国へと伝わり、その中で独自の発展を遂げたものであると推定されているが、その詳細につい...

琉球漆器は沖縄県の伝統工芸品の一つであり、1974年には沖縄県指定伝統工芸品に、1986年には経済産業大臣指定伝統的工芸品となっている。琉球漆器のはじまりについて、15世紀にポルトガルの外交官が記した「東方諸国記」には、沈金を用いた漆手筥(はこ)についての記録が残されており、このころから既にはじまっていたと考えられている。また琉球政府が記した「歴代宝案」には、中国や東南アジアとの外交記録が書かれて...

琉球紅型とは沖縄で誕生した染め物技術のことで、鮮やかで美しい染物である。沖縄では平仮名で「琉球びんがた」と書かれることが多く、京友禅、加賀友禅、江戸小紋と並んで日本の代表的な染物の一つである。その華麗で優美な技術性は今でも広く評価されており、まさに格式高い伝統品である。紅型の模様には古典的な模様から、モダンなものまで様々なものがある。古典紅型の柄は鳳凰、龍、鶴など中国や日本本土から影響を受けたもの...

組踊とは琉球王国時代に琉球の「踊り、台詞、音楽、能、狂言、所作、舞踊」などによってアレンジされた歌舞劇で、沖縄の伝統芸能である。能楽、狂言、歌舞伎などの影響を受けながらも、琉球の民話をテーマとして独自に発展した芸能である。2010年にはユネスコの無形文化遺産に登録されている。第二尚氏時代、中国皇帝の使者である冊封使を歓待することはとても重要なことであった。そこで1719年、踊奉行の職に任命されてい...

沖縄の三線とは「さんしん」「しゃみせん」といい、日本の三味線のもとになった楽器である。もとは中国福建省の弦楽器「三弦」を起源としており、琉球王国時代の15世紀ころ、王国は東アジア諸国と貿易を活発に行い、その中でビンジン三十六姓によって「三弦」が日本に伝わってきたのだ。そして三弦は「サンチェン」と呼ばれていたが、それがなまって「サンシン」と呼ばれるようになり、琉球文化の中に取り入れられていったのであ...

琉球王国時代には、なかなか庶民は口にすることができなかった高級菓子があり、中国からの使者のおもてなしや重要な行事などに出されることが多かった。その数は160以上にも及び、今でもその代表的なものは大切に継承されている。限られた材料の中で見た目に対する美しさや保存にもこだわりが感じられるものも多いことがその特徴である。そこで今回は、沖縄の代表的な伝統菓子をまとめてみた。

琉球建築とは、かつて沖縄が琉球王国として栄えていたためその頭文字をとって琉球建築と言われている。沖縄は本土とは異なり日本の南西に位置しており、建築物の多くは技術や素材などは、本土や中国などと似ている点も多く見られるが、亜熱帯地方に属していることからそれに対応するべく独特の建築様式を見ることができる。赤い屋根などどこかエキゾチックな雰囲気もあり、その光景もまさに沖縄らしさを感じるものである。また高温...

首里城祭とは毎年10月下旬〜11月上旬にかけて行われる琉球王国の都であった、首里の文化に触れることができる秋のお祭りである。首里城祭は那覇ハーリー、那覇大綱挽と並んで、3大イベントの一つに数えられており、期間中は首里の街全体が華やかなムードに包まれる。伝統芸能の宴、冊封使行列、冊封儀式が首里城公園で行われ、那覇の国際通りでは最大の見どころともなる豪華絢爛な絵巻行列を見ることができる。まさに琉球王国...

毎年約30万人が訪れる「那覇大綱挽」は、毎年10月の体育の日の3連休に行われる、秋の人気のイベントである。那覇大綱挽は「世界一のわら綱」としてギネス認定されており、その規模は全長200メートルにも及ぶ。巨大な綱には約280もの手綱が付いており、1万5000人余が引き合うことができるまさに那覇市民が一体となって行う秋のイベントである。綱挽終了後は手綱を切り取り参加者に配る「嘉例綱取り」が行われ、この...

もずくは北海道から沖縄まで生息する海藻類の一つであり、海藻にくっついて育つことから「藻付く」が由来とされている。沖縄ではスーパーだけではなく、コンビニエンスストアでもよくもずくを見かける。もずくはまさに沖縄県民の食卓に欠かせない食材であり、もずくを使った料理も多い。もずくはヘルシーで栄養価が高く、沖縄の長寿を支えてきた食材の一つであり注目度も高まりつつある。沖縄地方では古来からもずくを三杯酢で食べ...

全身泥まみれの神様が集落を歩くパーントゥと呼ばれる、宮古島に伝わるお祭りがある。この呼び名の語源は「パーン(食う)+ピトゥ(人)」が訛ったことから生まれた言葉であるという説がある。このお祭りは年に一度、旧暦の9月初旬に2つの地区で行われ、地元の大人から子供、さらに観光客までもが泥まみれになるこのお祭りである。1993年に国の重要無形民俗文化財にも登録されており、独特の雰囲気のあるお祭りである。パー...

竹富島は人口350人の小さな島であり、昔ながらの赤瓦屋根ののどかな集落がありのんびりとした雰囲気のある島である。しかし小さい島ながらも、芸能の島とも言われるほどに祭事が盛んに行われている。中でも最大のお祭りと言われているのが「種子取祭(タナドゥイ)(タネドリ)」であり、毎年旧暦の9月、10月の甲申(きのえさる)の日から甲午(きのえうま)の日迄までの9日間にもわたって開催される一大イベントである。こ...

南大東島は沖縄本島から約360キロに位置する島であり、南大東村豊年祭は南大東村の大東神社、大東神社村民の杜公園など村内全域で開催される賑やかなお祭りである。このお祭りは八丈島と琉球の文化が融合し、沖縄として珍しく山車、神輿、江戸相撲などを見ることができる県内最大のイベントである。まさに沖縄にいながらにして江戸文化に触れることができる貴重な機会でもある。このお祭りは五穀豊穣と無病息災を祈願するもので...

那覇空港から約2時間半、沖縄北部にある大宜味村で開催される塩屋湾のウンガミ(海神祭)は、約500年もの歴史があるお祭りである。毎年旧盆明けの初亥の日に塩屋湾で行われ、五穀豊穣、豊年祈願を行う行事である。なぜ亥の日に執り行われるのかはっきりとしたことは分かっていないが、もともとは塩屋、屋古、田港、白浜の4つの地区で行われていたが、現在は大保、押川、江州の地区も加わり、全部で7つの地区で行われる。この...

久米島は沖縄本島から西に約100キロに位置しており、沖縄諸島の中では最も西に位置する島である。近年は「ハテの浜」とよばれる無人島が格別に美しいと評判で、人気の観光地となりつつある。そんな久米島空港から車で20分、久米島西中学校の正門の先にある道を曲がった先にあるのが上江洲家(うえずけ)住宅である。沖縄らしい赤瓦の屋根がなんとも印象的であり、この家は1750年代に建築された琉球王朝時代の士族の家で国...