歴史(現代沖縄)記事一覧
1945年に日本は敗戦を迎えると日本は連合軍によって占領され、沖縄もまたアメリカの軍政下に置かれることになる。沖縄ではこれを「アメリカ合衆国による沖縄統治」といい、1945年(昭和20年)のアメリカ軍による沖縄占領から、1972年(昭和47年)5月に沖縄の本土復帰が起こるまでの、約27年間の歴史をさす。1945年8月15日の終戦からわずか5日後の8月20日に沖縄県庁は解体され、アメリカ軍によって「...
福州園は沖縄県那覇市にある公園であり、那覇空港から車でわずか10分の場所にあるロケーションのよい公園である。福州園は総面積8,500uに及び、かつて福州人がこの沖縄の久米村に来たこと記念し、三山(千山、烏山、屏山)、二塔(白塔、烏塔)、一流(ミン江)など、福州を代表する風景を描いた庭園である。この公園は1999年2月、「那覇市制施行70周年記念」と中国福州市と那覇市の「友好都市締結10周年」を記念...
沖縄都市モノレール線とは、「ゆいレール」の名前で親しまれている沖縄唯一の電車であり、現在沖縄の玄関口である那覇空港駅と世界遺産の首里城のある首里駅の間、約12.5キロを結んでいる。この区間はワンマン運転となっており、約30分かけて2両編成の車両が走るものだ。この「ゆい」とは、琉球方言の「ゆいまーる」という言葉に由来しており、労力交換や農家の畑仕事を意味している。現在、首里駅からてだこ浦西駅までの区...
沖縄国際海洋博覧会とは沖縄の本土返還を記念して、1975年7月20日〜1976年1月18日までの約183日間にわたって開催された国際博覧会である。開催された場所は沖縄北部の沖縄県国頭郡本部町で、現在の美ら海水族館のある場所である。略して沖縄海洋博、海洋博との言われ、沖縄本土返還からわずか3年後に開催されたこともあり沖縄経済の起爆剤として期待された博覧会であった。開催テーマは「海-その望ましい未来」...
1975年に開催された沖縄海洋博は、予想来場者を大きく下回る結果となり、観光県をアピールするのにはやや力不足の結果となったが、その基礎を築く一歩となったともいえる。高速道路や国道などの整備、大型ホテルの建設、商業施設などの建設が進められた。しかしそれは一時的なものに過ぎず、翌1976年にはホテルの稼働率が急激に低下したことによる相次ぐホテルの倒産、観光収入も激減してしまい、沖縄は戦後最大の危機的な...
2015年に沖縄と訪れた外国人観光客は150万人を超え、はじめて100万人を超えた。その年に沖縄を観光目的で訪れた人は776万人となることから、実に5人に1人は外国人観光客ということになる。訪れた観光客は中国がもっとも多く、続いて韓国、そのほか台湾や香港などの近隣諸国からの観光客が全体の8割となった。このような観光ブームとなった理由には、2011年から日本政府は中国人個人観光客向けの沖縄滞在を条件...
1956年(昭和31年)、アメリカ下院軍事委員会は、沖縄に「プライス勧告」とよばれる沖縄の軍用地問題に関する報告書を提出している。これはプライス議員をはじめとする調査団を沖縄に派遣して調査結果をまとめたもので、この議員の名前をもとに付けられた名称である。この勧告は沖縄基地の重要性や必要性を述べたもので、軍用地料を10年分一括で支払うことを提示し、これまで占有していなかった土地買い上げの必要を勧告し...
戦前の沖縄県は、他の日本国内と同じように自動車は左側通行であったが、沖縄な戦後アメリカの支配下に置かれることとなり、アメリカ海軍政府によって右側通行に変更され1947年には右側通行を定める「自動車交通取締規則」が施行されている。沖縄返還後も「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」によって暫定的に右側通行とされていた。当初は沖縄返還後4年後の1976年に左側通行へ切り替える予定であったが、沖縄海洋博...
沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律とは、1971年に発令された沖縄県の本土復帰に伴い、諸制度を円滑に進めるための特別な措置を定める法律であり、通称「沖縄復帰特別措置法」とよばれている。沖縄県は戦後アメリカの支配下に置かれ、そこで整備された制度は日本の制度とは大きく異なる点が多く、沖縄の本土復帰に際して混乱をもたらす恐れを懸念されていたのである。すぐに日本の制度を適用すれば沖縄の社会や経済に不安を...
首里城といえば、琉球王国を代表するまさにシンボルともいえる歴史建造物であり、まさにその時代における経済、政治、文化の中心的な役割と担っていたお城である。首里城はかつての貿易の拠点であった那覇港を一望できる丘の上に立ち、外城、中城、内城の3つの地区から構成されていた。当時中国と活発に交流を行っていたことから、中国の文化の影響を受け、華やかな琉球文化を築いていたのである。しかし約450年続いた琉球王国...
2000年7月21日〜23日の3日間、沖縄で行われたサミット(主要国首脳会議)は、正式には九州・沖縄サミットと言う。これは首脳会議が沖縄、閣僚会議が九州で行われたことから「九州・沖縄サミット」と呼ばれたのである。サミットは1975年にフランスで開催されて以来、毎年開催されているものであり、首相や大統領などが参加し沖縄サミットは26回目に開催された。開催場所は名護市の「万国津梁館」で行われた。この万...
那覇新都心とは、沖縄那覇市の北部に位置する再開発地区のことであり、おもろまち地区とも呼ばれる。戦後はアメリカ軍によって強制接収されていた場所であり、1987年(昭和62年)に30年以上経過したようやく返還された土地である。日本側に返還された後には新都心開発整備構想のもと、道路開発や公共施設建設のために地主たちが所有する土地の約半分を、国と地方公共団体に譲渡している。しかし一方でこのエリアはシュガー...