「沖縄都市モノレール線」とは
沖縄都市モノレール線とは、「ゆいレール」の名前で親しまれている沖縄唯一の電車であり、現在沖縄の玄関口である那覇空港駅と世界遺産の首里城のある首里駅の間、約12.5キロを結んでいる。
この区間はワンマン運転となっており、約30分かけて2両編成の車両が走るものだ。
この「ゆい」とは、琉球方言の「ゆいまーる」という言葉に由来しており、労力交換や農家の畑仕事を意味している。
現在、首里駅からてだこ浦西駅までの区間を延長建設中であり、2019年に開通する予定となっている。
「ゆいレール」が建設された背景
沖縄では、戦前は軽便鉄道(嘉手納線、糸満線、与那原線)、路面電車、馬車鉄道などがあったが、昭和初期に入るとバスとの競争に負けてしまい鉄道は次々と廃線となった。
さらに戦後になりアメリカの統治下に置かれるようになると、道路整備に重きを置かれるようになっていったため、交通手段は自動車がメインとなっていき鉄道は復興されることない時代が続いていた。
しかし1970年代に経済発展が著しくなってくると、那覇市や中南部は人口増加と産業が集中するようになり、しばしば問題視されるようになっていた。
特にそれに伴う激しい交通渋滞が発生するようになり、深刻な問題となっていたのである。
「ゆいレール」の建設事業
都市部への人口増加と産業集中により渋滞緩和を求める声が高まるようになると、その対策として新しく軌道系公共交通機関の建設が求められるようになっていった。
そして沖縄が本土復帰を果たした1972年、政府は沖縄の開発を進めるべく、「新全国総合開発計画」を改変して、沖縄県への特別措置として「沖縄振興開発計画」を策定した。
これは沖縄の振興開発の方向性と基本政策を示した総合計画であり、これによって沖縄と国が一体となって導入ルートなどを検討していった。
最終的には「都市モノレールの整備の促進に関する法律」に基づいて「座式モノレール」を導入することで決定された。
1982年9月に車両などの調達や開業後の運営の主体となる第三セクター「沖縄都市モノレール株式会社」を設立し、モノレール事業の整備が進められていったのである。
しかしながら地元では「マイカーが定着した沖縄において、モノレールは運行されても閑古鳥が鳴き、採算がとれないに違いない」という声は根強かった。
そしてようやく1996年に運輸事業免許が取得され、同年11月に工事がスタートしたのである。
建設中に何度か不発弾の処理に遭遇しながらも、予定よりも4ヶ月早い2003年8月、無事に開業を迎えたのである。