2007年に開催された沖縄サミット

2000年7月21日〜23日の3日間、沖縄で行われたサミット(主要国首脳会議)は、正式には九州・沖縄サミットと言う。

 

これは首脳会議が沖縄、閣僚会議が九州で行われたことから「九州・沖縄サミット」と呼ばれたのである。

 

サミットは1975年にフランスで開催されて以来、毎年開催されているものであり、首相や大統領などが参加し沖縄サミットは26回目に開催された。

 

開催場所は名護市の「万国津梁館」で行われた。

 

この万国津梁館とは東シナ海に面した絶好のロケーションにあり、「世界の架け橋」という意味を持つ。

 

琉球王国時代において、活発に貿易を行っていた15世紀頃の王国の栄華を表現したもので、世界中から取り寄せた建築素材のほか、沖縄ならではの琉球瓦や琉球石灰岩などの自然素材が用いられた。

 

この沖縄サミットでは日本、米国、フランス、ロシア、カナダ、英国、ドイツ、イタリア、ECが参加をした。

 

サミットの晩餐会は首里城の北殿で行われ、ここはかつて北の御殿(にちのうどぅん)、議政殿(ぎせいでん)とも呼ばれていた場所である。

 

晩餐会では石垣牛のステーキが出され、食後酒は泡盛が振る舞われた。

開催地沖縄の意義

この沖縄サミットは日本初の地方サミットであり、その開催地を巡って東京や大阪など8つの地域が立候補をしたが、最終的に開催地に選ばれたのは沖縄であった。

 

沖縄はもっとも不利と考えられ、立候補していた福岡や宮崎が有力であると考えられていたが、開催地が決まった際には列島に衝撃が走ったほどであった。

 

しかし沖縄では本土返還後も基地問題に悩まされており、それを各国の首脳に実際に見て欲しいという思惑もあった。

 

事実、沖縄は在日米軍基地の4分の3が集まっており、実際に基地の様子を見てもらうチャンスであったのである。

 

沖縄が体験してきた歴史的苦労や政界を挙げての沖縄開催決定は、当時の小渕総理大臣の評価を高める結果となり、各マスコミはこの決断を高く評価した。

その他の影響

この沖縄サミットの開催を記念して二千円紙幣が発行され、沖縄にちなんで紙面には首里城の守礼門が描かれている。

 

またサミットの開催に合わせて那覇空港から名護市までの道路の整備もなされた。

 

沖縄自動車道の西原JCTが開通し、那覇空港自動車道南風原道路と接続し交通の利便性が向上した。

 

サミットが開催された万国津梁館では、行事が入っていない日では無料で見学でき、ホールには当時の沖縄サミットの様子が展示されている。