海洋博後の観光産業
1975年に開催された沖縄海洋博は、予想来場者を大きく下回る結果となり、観光県をアピールするのにはやや力不足の結果となったが、その基礎を築く一歩となったともいえる。
高速道路や国道などの整備、大型ホテルの建設、商業施設などの建設が進められた。
しかしそれは一時的なものに過ぎず、翌1976年にはホテルの稼働率が急激に低下したことによる相次ぐホテルの倒産、観光収入も激減してしまい、沖縄は戦後最大の危機的な状況に陥ることとなった。
しかし1977年から1979年にかけて、観光客は急激に足を伸ばし海洋博が開催されていたときよりも多く、約180万人が沖縄に足を運んだ。
航空会社のキャンペーンや謳い文句などが手伝って、着実に沖縄を訪れる人が増えていったのである。
1980年代とバブル崩壊
1980年代に入ると、海洋博後でもっとも大きな建設となった1984年に建設された万座ビーチホテル、その後サンマリーナホテル、かりゆしビーチホテル、沖縄残波岬ロイヤルホテルなど次々に大型ホテルが誕生していき、ホテルや客室の増加とともに80年代後半には観光客もさらに増えていった。
しかし1990年代はバブル崩壊とともに、一時的に客足が遠のく事態を招いたが、海洋博で学んだリカバリーキャンペーンに力を入れ、一時的に衰えるとはあっても、90年代後半には再び回復の兆しを見せた。
また2000年の沖縄サミットで注目されたこともあり、翌年にはさらに観光客は増加している。
沖縄の観光ブーム
2000年ころから沖縄観光ブームとなり、2003年にははじめて500万人を突破し、さらに2004年には515万人が沖縄を訪れている。
この観光ブームを促したものといえば、オフシーズンでも楽しめるスポットなどが建設され、さらにリピーターが定着してきたこと、また航空運賃の自由価格化が進み、例え空路を利用しても安価な値段でアクセスできるようになったことが挙げられる。
そして沖縄独特の文化、生活スタイル、習慣などを評価してきた人が増えてきたのだ。
また2003年に開通したモノレールによって、アクセスの利便性が向上するとともに、付近にはたくさんのホテルが建設された。
しかし2008年にはリーマンショックが起き、沖縄の観光産業も一時的に影響を受けた。
円高によって外国人観光客が減り、2009年には8年ぶりに前年度を下回る結果となった。
しかしその後2013年には格安航空会社(LCC)の参入や、中国や台湾などの近隣諸国から観光客が増えたこともあり、観光客数は658万人と過去最高となっている。
政府や行政などの見解によれば、これからも沖縄の観光産業は伸びると予測されており、ますますその需要が期待されている。