戦後とアメリカ合衆国による沖縄統治
1945年に日本は敗戦を迎えると日本は連合軍によって占領され、沖縄もまたアメリカの軍政下に置かれることになる。
沖縄ではこれを「アメリカ合衆国による沖縄統治」といい、1945年(昭和20年)のアメリカ軍による沖縄占領から、1972年(昭和47年)5月に沖縄の本土復帰が起こるまでの、約27年間の歴史をさす。
1945年8月15日の終戦からわずか5日後の8月20日に沖縄県庁は解体され、アメリカ軍によって「沖縄諮詢会」が、終戦直後の沖縄の中心地だった石川市(現うるま市)に設置されることとなった。
1946年4月に「沖縄民政府」へ移行するまでの間、沖縄諮詢会はアメリカ軍と県民とを取りまとめ、行政や市町村の整備、食料配給、教育、戸籍など多方面の事業に取り組んでいった。
明治以降の沖縄県としてスタートするも長い間琉球王国としての歴史を歩み、その変革期において混乱を体験したからこそ、沖縄人は自ら経済や政治を統率できる力がないと考えていた。
しかし沖縄諮詢会では、日本軍と連合軍の関係者は選挙から除外して委員を決め、民主主義の基礎を作っていったのである。
そして1949年には長期支配をするための整備が進み、民主的な政治の実施や軍事施設の整理統合などが行われるようになり、沖縄県民にも一部自治権が与えられた。
米ソの冷戦と反米感情の高まり
しかし1950年代に入ると、アメリカとソ連の間で冷戦状態が生じてくると、それはアメリカ軍の米軍支配にも大きな影響をもたらすようになったのである。
冷静の激化が進み、アジア圏では社会主義国が誕生するなど国際情勢の変化に伴い、アメリカ軍は沖縄への長期支配に向けてますます積極的に進めるようになっていったのである。
アメリカ軍は農地を次々と没収し、演習地や倉庫などの用地を次々と確保していったのである。
中には集落ごと没収された地方もあり、住民の反感は必至であった。
また1951年に調印されたサンフランシスコ平和条約以降、沖縄の本土復帰に対する運動を弾圧したり、米軍による事件が多発しており、ますます本土復帰を願う声とアメリカ軍に対する反米感情が高まっていったのである。