ローカルな雰囲気が漂う牧志公設市場
牧志公設市場
沖縄に行ったら地元ならではのグルメを満喫することも、観光の醍醐味という人も多いはずだ。
その一つ国際通りの市場本通りのアーケードの先にあり、ゴミゴミとしたローカルな市場こそが、牧志公設市場である。
沖縄近海の新鮮な魚介類、地元野菜や果物、県産の肉類、島豆腐、調味料、加工品、乾物などのお店や約150店舗密集しており、2階では1階で購入したもの調理してくれる食堂となっている。
観光客だけではなく、地元の人たちに親しまれている牧志公設市場は、いつも熱気と活気に満ち溢れているスポットである。
この市場は非常の歴史ある市場であり、それは戦後の闇市まで遡る。
そこで今回はこの牧志公設市場の歴史について、ご案内していきたい。
戦後の闇市がその原点
戦後の混乱の中、その歴史は闇市からスタートする。
街の再建を目指すべく、焼き物の陶工たちが許可を得て販売を始めたものの、それとともに人々は生活を立てるべく自然発生的に闇市が誕生していったのである。
川沿いやさらに川の上にまでも店舗が並び、衛生的な問題も抱え、不法占拠状態であったこともあり、その整備が求められていた。
それを解決すべ那覇市が1950年に長屋の公設市場を設立した。
しかしこれはもともと私有地であったことから、地主が返還を求めるなどトラブルが続き、1969年に移転用地に第二牧志公設市場を開設した。
しかし実際のところ移転をスムーズに行うことができず、もともとあった旧市場を第一牧志公設市場と名称を変えて、存続することになる。
そしてその3年後の1972年、地主との交渉も進み、第一牧志公設市場を現在見られるかたちに再建したのである。
公設市場のお店
公設市場に入っているお店は、それぞれが独立したお店となっており、戦後から代々受け継いでいるお店も多く、三代目、四代目と次の世代が受け継いでいる家族経営が多いことも特徴の一つである。
市民の台所として広く親しまれてきたが、商業施設が大型スーパーマーケットの開発が進み、お店の数は減少しつつある。
しかし本土とは異なる沖縄の珍しい食材や食料品が手に入るとあって、県外からの観光客や外国人たちからも人気を集めている。
また公設市場周辺には、約700店舗ほどの小さなお店が並んでおり、沖縄の方言で市場を意味する「マチグヮー」を形成している。
市場とお店が相乗効果となり、一つの観光スポットとして親しまれている。
商売人との会話を楽しめることも、この市場の醍醐味である。