沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律とは
沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律とは、1971年に発令された沖縄県の本土復帰に伴い、諸制度を円滑に進めるための特別な措置を定める法律であり、通称「沖縄復帰特別措置法」とよばれている。
沖縄県は戦後アメリカの支配下に置かれ、そこで整備された制度は日本の制度とは大きく異なる点が多く、沖縄の本土復帰に際して混乱をもたらす恐れを懸念されていたのである。
すぐに日本の制度を適用すれば沖縄の社会や経済に不安を生じされることが想定されたため、県民が安定した暮らしができるように特別措置を行い、円滑に移行できるように、法律を定めたものである。
法律では混乱が生じることがないよう、琉球政府、地方教育区、琉球水道公社、琉球電信電話公社、その他の法人の権利義務の継承、免許等の効力の承継などを定めている。
さらに税制、医療制度、食糧管理制度など県民の生活に大きな影響をもたらすものを各省別に定めるなど、従来の制度や組織をなるべく取り入れ、急激な変化が生じないように配慮されている。
通貨と交通方法変更
もっとも県民の暮らしに影響を与えたといっても過言でないものが通貨である。
戦後アメリカの支配下に置かれていた沖縄では、通貨は米国のドルであった。
しかし本土復帰に伴い、ドルから円へと切り替えられ、県民に不利益が被ることのないように日本政府は、1ドル360円での切り替えを提示したのである。
やはり通貨の切り替えにはさまざまな問題があり、この切り替えに伴い便乗値上げが行われることも多かった。
その結果消費者物価は一か月で14.5%も上昇し、県民の生活に大きな影響を与えたのである。
また右側通行から左側通行へ交通方法変更も行われ、7月30日に実施されたことから通称「ナナサンマル」と言われた。
これは復帰後の一大プロジェクトと言われ、当日は多くの見物客たちが交差点などに押し寄せた。
また沖縄復帰特別措置法の制定に伴い、復帰後は沖縄開発庁と沖縄県が10年ごとに沖縄振興開発計画を定め、格差是正につとめていった。
インフラの整備、海や農業などの基盤整備が行われ、県民の生活も少しずつ豊かになっていったのである。
特に観光ブームやリゾート開発の影響もあって、地価上昇が著しく伸びていき、年々県民の所得も向上していったのである。
このように沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律によって、県民の生活も少しずつ変化に対応していき、結果的に生活水準も高まっていったのである。