1971年に完成した墓地
唐人墓は、石垣市街から海沿いの道を北西に進んだ観音崎にある墓地で、広い駐車場があり海沿いにあるだけあって訪れる観光客も多い場所である。
とてもカラフルな建物が印象的であるが、ここ唐人墓には中国福建省出身者の128名の霊が祀られている場所であり、どこか厳かな雰囲気が漂う場所でもある。
ここは1852年、米船ロバート・バウン号事件で犠牲になった中国人苦力の慰霊のため、1971年に建立されたものである。
米船ロバート・バウン号事件
米船ロバート・バウン号事件とは1852年2月、中国厦門(アモイ)からアメリカのカリフォルニア州へ航行中、アメリカの奴隷貿易船であったロバート・バウン号内で、400人の中国人を裸にして髪の毛を切り落としたり、病人を海中に投げ落としてサメに食べさせるなど、卑劣な行為を繰り返していた。
この暴行に耐えかね米国人船長と船員ら7人を打ち殺して船を操縦したが、2月19日に石垣島の崎枝村沖合で座礁し、380人が島に上陸した。
事情を知らない島民は仮小屋を建てるなど彼らに住まいを与えたが、米国の海軍らが三度にわたって石垣島に上陸し、きびしい捜索を行い中国人は山中に逃げたりするなどしたが、100名以上が殺されたり、自殺者も出るほどであった。
島民は秘かに食糧や水を供給したりするなどして、中国人側の被害がなるべく出ないようにと人道的な配慮も行った。
そして国際交渉の結果、1853年9月に琉球側が船二隻を用意して、生存者172人を中国の福州へと送還している。
しかしこの送還されるまでの間に当初上陸した者は380人であったが、自殺、病死、行方不明などになった者は128人に及び、点在していた遺骨を集めた。
また中国ではこの事件がきっかけとなって大規模な貿易反対運動が勃発している。
中国人があちらこちらに埋葬されていたが、石垣市と台湾政府、在琉華僑が協力しあって合同慰霊とし、各団体や個人から寄付金を募りその慰霊を祀った場所こそがここ唐人墓なのである。
しかしこの墓が完成した1971年は、まだ沖縄はアメリカの支配下に置かれていたことから、そのいきさつや経緯をはっきりと表記できなかったこともまた事実である。