沖縄の食文化の変化
太平洋戦争が終結すると、本土復帰を果たす1972年まで、沖縄はアメリカの統治下に置かれることとなる。
約27年もの間アメリカの支配下に置かれ、その中で沖縄はアメリカの影響を受けながら、独自の文化を歩んできたのである。
アメリカ軍の支配下にあることで、基地問題など様々な問題を抱えながらもアメリカの文化の影響を受け、沖縄発展に貢献してきたことも事実である。
終戦直後は食糧難に陥った沖縄では、アメリカ軍の食糧供給に頼るしかなく、配給されたものはアメリカ食料品であった。
缶詰のコンビーフ、ソーセージやハム、スパムなどの肉製品がもたらされた。
沖縄ではもともと豚肉を盛んに食べる食文化があり、次第にこれらの肉製品は受け入れられるようになっていった。
特にスパムはゴーヤーチャンプルーやスパムにぎりなどで、ごくごく一般的に食べられている。
まさに戦後、沖縄ではそれまで築いてきた食文化に、さらにアメリカ文化が加わり独自のレシピが誕生していったのである。
また今ではすっかり有名なタコライスも沖縄発祥の食べ物であり、もとは金武町にある米軍キャンプハンセンのゲート前に広がる飲食店街で発明された料理であった。
当時円高によって外食を控えるようになった米兵のために、考案されたコスパのよいグルメであり、メキシコ料理のタコスをヒントにチーズ、ひき肉、トマト、レタスをご飯の上にのせて食べるものである。
沖縄ではタコライスは、1990年代頃から学校の給食で支給されるほどのメジャーな料理として親しまれている。
また全国に展開している沖縄の外食フード産業でも、沖縄限定でタコライスを販売している。
今でも基地周辺には、たくさんのステーキ専門店やハンバーガー店などがあり、ボリュームがありながらも値段が比較的お手頃なものとなっている。
アメリカ統治下の影響
また沖縄では牛乳や飲料水などの単位が、やや中途半端な単位で表示されていることがある。
例えば牛乳パックの表示は全て「946ml」となっており、これもまた沖縄統治下の名残である。
もともとアメリカの1ガロンは3.784リットル、四分の一の946mlはクオーターガロンと呼ばれており、ガロンの単位をリットルに直したものがそのまま使われているのである。
またアメリカの統治下に置かれていた中で、基地内外でさまざまな娯楽行事が開催されその一つがジャズ文化である。
ジャズコンサートなども盛んに行われ、海外から大物ミュージシャンが足を運ぶこともあったという。
今でも沖縄ではジャズミュージックが有名であり、人々の心の拠り所となっている。