沖縄と中国の友好的関係のシンボル
福州園は沖縄県那覇市にある公園であり、那覇空港から車でわずか10分の場所にあるロケーションのよい公園である。
福州園は総面積8,500uに及び、かつて福州人がこの沖縄の久米村に来たこと記念し、三山(千山、烏山、屏山)、二塔(白塔、烏塔)、一流(ミン江)など、福州を代表する風景を描いた庭園である。
この公園は1999年2月、「那覇市制施行70周年記念」と中国福州市と那覇市の「友好都市締結10周年」を記念して、開園した中国式の庭園である。
観光地としてはさほど有名ではないものの、琉球王国時代から中国と友好的な関係を築いてきた沖縄と中国の歴史的関係を表すシンボルともいえる。
琉球王国と中国の深い関係
今から約600年前、琉球王国は中国(当時は明)との貿易をはじめ、これは冊封体制とよばれるもとで行われた。
琉球が朝貢を納めると、中国の皇帝はその何十倍もの下賜品を返し、中国の官位や爵位を授かり君臣関係を結んだ外交政策の一種であったのである。
これによって琉球は経済的にも安定が得られ、国営においても中国からのバックアップが受けられるというメリットがあったのだ。
そのような状況下において、明から渡米してきた人の中に「久米三十六姓」と呼ばれる特殊の才能をもった職人たちがいたのだ。
この「久米三十六姓」とは諸説あり、三十六姓といっても三十六人の集団を意味しているのではなく、中国で「三十六」は多いことを意味する言葉でありそれからきているとも言われている。
しかし近年の研究によって、厳密には「福建人」ではなく、福建省出身の客家から構成された集団であることも明らかになってきている。
そして彼らは「久米村」を築き、その高い技術力は琉球王国から非常に評価されていた。
久米村にいた人たちは、渡来後の数百年に渡って琉球王国の発展に寄与していったのである。
職人によって手掛けられた庭園
園内に入ると、沖縄にいることを忘れてしまうほど中国らしい雰囲気に包まれている。
福州園は、設計、施工など造営にいたる全て福州市の職人によって手掛けられたものであり、福州市の資材が使われている。
まず目に飛び込んでくるのが「ひんぷん」とよばれる、中国式の屏風があり、これは門の内側にある目隠しをする役割のあるものである。
沖縄では魔物は角を曲がるのが苦手で直進して入ってきてしまうという言い伝えがあり、この屏風をおくことで魔除けの意味があるといわれている。
園内は「明」「穏」「華」の三部から構成されており、四季折々の植物も取り入れながらも、福州の風景や全て木造で造られた建設物が再現されている。
園内にはそれぞれ異なる様式の門が東西南北に設けられており、中国の粋な演出が取り入れられており、とても見応えのある庭園である。