奇跡の一マイル
那覇空港からゆいレールで約15分、那覇の中心部ともいえる場所が国際通りである。
第二次世界大戦後、焼け野原になり混乱を極めた中でも早くから復興の兆しをみせはじめたことから、「奇跡の一マイル」とも言われた。
国際通りは県庁北口交差点から安里三叉路にかけての約1.6キロの通りであり、長さがほぼ1マイルであることからこのように呼ばれた。
今ではお土産店、たくさんのグルメスポット、食料品店、ホテル、旅行代理店など、まさに那覇の中でもっとも賑わいを見せる繁華街である。
またこの通りはゆいレールの県庁前駅、美栄橋駅牧志駅が最寄り駅であり、そのアクセスのよさから朝早くから夜遅くまで賑わいを見せる場所である。
また国際通りから横道に入れば、市場本通り、平和通り、公設市場などゴミゴミとしたローカルな雰囲気が広がり、地元の人たちが食材の買い出しに日常の風景を見ることができる
戦後の国際通り
沖縄戦によって那覇市の民家ほとんどが焼けてしまい、さらに那覇市の中心部は米軍によって無条件に接収されてしまい行き場を失った日本人たちは現在の国際通りへと集まってくるようになった。
そして産業復興目的として職人やその親戚を名乗って市内に入りはじめ、国際通りに近い壷屋や牧志などのエリアは自然発生的に闇市が広がっていったのである。
そして1948年、国際通りの由来ともなる「アーニーパイル国際劇場」という映画館が米軍の物資集積所があった場所に作られ、すぐに口コミで有名になっていった。
そして「アーニーパイル国際劇場のある通り」から「国際通り」と呼ばれるようになったのである。
観光客の増加とその問題点
当初は地域に密着した生活用品や食料などを買い求めにくる人で賑わいを見せていったが、次第に観光客が増えていくと、観光客向けのお店が増えていった。
さらに国際通りに近い那覇新都心などの開発も進められ、ますます賑わいを見せていくようになった。
その影響もあり国際通りから一歩路地裏に入った場所に、市民の買い物の拠り所が少しずつ移転をしていったが、「沖縄の台所」と呼ばれローカルな雰囲気もまた楽しめることも国際通りの魅力といえる。
また大型ショッピングセンターなどは、駐車場などの確保の問題から郊外へ開発が進められている。
しかし国際通りの発展に伴い慢性的な渋滞が問題視されており、物資輸送の集約など改善策が協議されている。