琉球信仰の形態
御嶽
沖縄を歩いているとたくさんの香炉を見かける。
神社、ガジュマルなどの木々、砂浜、湧き水、時には道沿いなど、注意深く歩いているとその香炉の多さに驚かされることも多い。
これらは御嶽と呼ばれるもので、琉球信仰の形態である。
地元の人や霊的なアドバイザーユタなどが、御嶽を訪れては祈りを捧げている光景もごく日常的であり、お酒などのお供えものもよく見かける。
いわば御嶽は聖地であり、沖縄の人が古来から大切にしている場所なのである。
単なるパワースポットではなく、そこには深い歴史や古来からの信仰や崇拝といった念が込められているスポットなのである。
先祖と神を崇める場所
御嶽は先祖をお祀りしている場所であり、あるいは琉球の神が存在している霊的な場所である。
特に御嶽の前に鳥居がある場合は、先祖をお祀りしていることが多い。
また沖縄でも石垣島や八重山地方など南下していくほどに、そのルールより規制されたものとなる。
沖縄では御嶽はあちらこちらにあるため、自由に見学できることが多い。
しかし興味本位で御嶽に足を踏み入れたりすることは、避けるべきであり、お参りするときは地元の人やユタに案内されていくことが一般的である。
琉球王国時代において、神事を司るのは女性とされていた。
その形態は今でも受け継がれており、現在においても御嶽は男性禁制としているところが多い。
様々な形態がある!
御嶽は前述にあるようにたくさんの場所でみられ、その形態もさまざまである。
御嶽の中にはイビ石とよばれる石碑があり、これは神が降りてくる場所を意味しているものや、御嶽の神を歓迎するための踊り場を設けているものもある。
御嶽の近くからは人骨が発掘されることも多く、これはかつて集落があったことを意味しており、先祖崇拝も関係していると考えられている。
一般的に一つの集落には必ずといっていいほどの御嶽が存在する。
また湧き水、川、海辺、井戸などにも御嶽が見られるが、これは琉球では水もまた神が宿る場所であると考えられていたためである。
また空間そのものも御嶽をみなすこともあり、首里城や斎場御嶽などがその例である。
これらは観光地化されているが、このようなケースは稀であり、ほとんどの御嶽がそうでないものが多い。
また管理する者がいなくなってしまい荒廃しているものや、開発や整備によって取り壊されてしまったものもある。
このように御嶽は、一つの場所をさすこともあれば、空間そのものをみなすものなど様々である。
アマミキヨと琉球開闢七御嶽
クボー御嶽
琉球開闢の神として知られるアマミキヨは、久高島に降り立ち五穀を教え、そして9つの聖地を作った。
今でもそのうち7つ御嶽が現存しており、「琉球開闢七御嶽」と言われている。
その中でももっとも格式高い場所といわれるのが、斎場御嶽である。
国家の重要な祭事などはここで行われており、数か月前から準備を重ねていた。
その他にも国頭村辺土の安須森御嶽、久高島のクボー御嶽、首里城内の首里真玉森御嶽などがある。
御嶽の巡礼
またいくつかの御嶽を巡って巡礼する聖地廻りとよばれる形態もある。
その一つが「東御廻り(あがりうまーい)」と呼ばれるもので、沖縄では太陽の昇る東方のことを「あがり」と呼び、理想の世界・ニライカナイがあると考えられている。
つまり東御廻りとは、首里か見た「あがり」にあたる玉城、知念、佐敷周辺の御嶽を巡るものである。
もともとは琉球王国時代に国王が巡礼をしていたものであるが、一般の庶民の間にも広まるようになり、現在でもこの巡礼をしている人も多い。
今ではパワースポットブームの影響も受けてか、この聖地廻りを、県外からの人が案内人とともに巡ることも増えてきているようである。