古来から行われてきた「ハジチ」
「ハジチ」とは琉球王国時代から明治末期まで、沖縄で広く行われていたいわゆる女性の刺青であり、沖縄固有の風習である。
竹針で突いて墨を入れていくことから漢字では「針突(ハジチ)」と呼ばれており、その職人のことを「針突師(ハジチャ―)」と呼ばれていた。
文様については地域によって少しずつ異なり、墨を入れていく際にたくさんの針で何度も何度も刺すことから、耐えられないほどの痛さであったという。
また見ているだけでも目をそむけたくなってしまうほど、痛々しいものであったと言われている。
ハジチは1回に2時間ほどの時間を要したがハジチをした後の数日間は、ひどく腫れ上がりかなりの痛みを伴ったという。
また施術する際の痛みをこらえるために、大豆を炒って黒砂糖をかけたものを食べていたともいわれている。
ハジチをすることの意義
このハジチとは女性が結婚をすると手の甲、指、ひじに刺青をする習慣があり、いわゆる「成女儀礼」を意味している。
結婚するとハジチをいれるという風習もあったが、13歳ころから少しずつ刺青を増やしていき、婚約したらその文様を完成させることも行われていた。
これは結婚儀式や子孫繁栄だけではなく、17世紀に琉球王国にとって初の対外戦争となる薩摩の侵攻が起こりこのハジチをすることで、沖縄の女性が日本本土にさらわれないためのおまじないや魔除けとも言われていた。
また刺青をした手が遭難していた船を支えて難を逃れたという故事に由来しているとも言われている。
またハジチをしておかないとあの世で成仏できないという歌も残されており、またハジチをせずに亡くなった子供の手に、亡くなってからハジチをしたという話も残されている。
このような習慣は明治時代に入ると、政府から規制がかけられるようになったが、昭和初期までは秘かに行われていたと言われている。
ハジチの世代に生き、現在も御存命の方は少なくなってきているものの、かつての沖縄の重要な風習であったことには違いない。