獅子が起源のシーサー

沖縄を旅しているとよくシーサーを見かける。

 

特に多いのが建物の屋根や門などに置かれているもので、沖縄らしい風景である。

 

シーサーとはいわゆる守り神であり、悪魔を追い払う魔除けの意味があるとされている。

 

今ではすっかり全国的に有名であり、お土産ショップではシーサーをモチーフとした、置物、ステッカー、マグカップにいたるまでたくさんの商品が販売されている。

 

シーサーとは「獅子」で、沖縄の方言で発音したものであり、八重山諸島ではシーシーともいわれる。

 

一説によると犬という説もあるものの、ライオンの別称の「獅子」である説が有力である。

 

オリエント時代のライオンは、中国を超えて、沖縄に伝わってきた日本に広まってきた非常に歴史あるものであり、その歴史は500年以上に及ぶ。

 

権威の象徴、守護神、魔除けとその意味合いは少しずつ変化しながらも、人々の生活の中に生きてきたものである。

 

材質について陶器や石が一般的であるが、近年ではコンクリートや青銅製のものもある。

 

長年家屋を守ってきたシーサーの中には、やや古めかしいものも多く見受けられるが、それも一つの歴史を物語るものとして親しまれている。

 

一般的には鬼門である北東に向けて置くとよいとされているが、家庭によってはすべての方向にシーサーを置いているところもあり、厳密な決まりはないようである。

 

その表情も様々であり、中には見ていると笑みがこぼれるような、ユニークな表情をしているものもいる。

シーサーの変遷

シーサーのはじまりは「球陽」という書記の中に記されている。

 

1689年に東風平の冨盛村では、当時火事が多発していたため、それを風水師に相談したところ八重瀬岳による災いであるというアドバイスを受けたことが、そのはじまりといわれている。

 

これを治めるためには獅子の像を作り、その山に向けて設置したところ、火事は起こらなくなったという。

 

この八重瀬岳の現存しており「富盛の石彫大獅子」と言われ、全長は1.75メートル、現存するシーサーの中で最も古いと言われ、沖縄県指定有形文化財に登録されている。

 

これがきっかけとなって、獅子(シーサー)を設置すれば、災難が起こらなくなるという言い伝えが広まり、やがて一般の家庭などでも取り入れられるようになっていったのだ。

 

しかし実際に屋根の上など置かれるようになったのは、明治時代に入ってからのことである。

 

沖縄のシンボルである赤瓦屋根の上に、せっせと稼いだお金でシーサーを購入して、置くことは誇らしいことでもあったのだ。

 

それまではお城、御嶽、拝所、権力者の墓など権力の象徴という意味合いも強かったが、明治に入って庶民に浸透していくと同時に、その役割も守り神や魔除けの意味が強くなっていったのである。

仏教とシーサーの関係

仏教の阿吽像の影響を受けてか、シーサーも単体よりも一対で置かれることが多い。

 

お寺などの入り口に、口が開いている阿形像と口を閉じている吽形像一対がイメージすると分かりやすいかもしれない。

 

同じように宗教的なモチーフとしての役割と果たすシーサーは、一般的に口の開いたシーサーを右側に置き、口を閉じたシーサーを左側に置くことが多いのだ。

 

口の開いている方がオス、口の閉じている方がメスと言われており、諸説あるものの、宇宙の始まりと終わりをそれぞれ象徴していると言われている。