戦前多数あった沖縄の鉄道

沖縄は今でこそ「ゆいレール」とよばれるモノレールが那覇空港と首里城を結んでいるが、いわゆる鉄道は走っていない。

 

戦前までは最後まで残った軽便鉄道(通称ケイビン)と呼ばれていた鉄道も、沖縄戦によって壊滅的な被害を受け、戦後は復興されることなく廃止されており、ゆいレールはまさに50年以上もの空白の時間を超えて開通したのである。

 

しかし戦前にはケイビンをはじめ、路面電車・馬車鉄道など沖縄には様々な鉄道が走っていたのだ。

 

沖縄ではじめて鉄道のレールが敷かれたのは南大東島で、1902年(明治35年)に手押しトロッコ鉄道が開通している。

 

さらに、1910年(明治43年)には沖縄の基幹産業であったサトウキビの運搬を目的とした産業用鉄道も離島を中心に導入されており、砂糖工場や農家を結ぶトロッコ軌道が多数存在していた。

 

しかし実際に人が乗車する列車の営業を計画したのは明治末期であるが、資本家との折り合いがつかなかったり、資金が集まらなかったりするなど、計画倒れに終わることが多かった。

 

そしてようやく1910年(明治43年)3月に沖縄電気軌道の軌道敷設計画が進められ、1914年(大正3年)には沖縄ではじめてとなる路面電車が開通している。

 

その半年後には、サトウキビ運搬鉄道を延張して沖縄人車軌道が開業している。

 

しかしこれまで度々民間による鉄道は計画と挫折を繰り返した歴史があったことから、県営による鉄道計画の気運が高まるようになった。

 

そして沖縄人車軌道が開業した直後、沖縄県営鉄道が軽便鉄道を開業しており、大正末期には与那原線、嘉手納線、糸満線の3路線が完成している。

 

さらに那覇と糸満を結ぶ糸満馬車軌道が新しく開通して、沖縄の鉄道産業は新たに開業し、沖縄本島の鉄道は最盛期を迎えた。

 

昭和時代の鉄道の歴史

昭和時代に突入すると自動車産業が発達していき、バスの交通網が発達するようになり、次第に鉄道は自動車の需要に負けていくようになった。

 

その結果各鉄道でも利用者が減っていき、次々に廃線に追い込まれていった。

 

最後まで残った軽便鉄道(通称ケイビン)も激化する沖縄戦で鉄道施設は破壊されてしまい、戦前に多数あった鉄道は全て廃線に追い込まれていったのである。

 

そしてようやく平成時代に入って、ゆいレールが開通し今では地元の人はもちろん、観光客にも欠かせない交通手段となっている。