国の重要文化財に指定されている宮良殿内
石垣港から約400メートル、市街地にある宮良殿内は「ミヤラドゥンチ」もしくは「メーラヤラドゥヌジィ」と呼ばれ、国の重要文化財に指定されている。
これは琉球王国時代の1819年に宮良当演が宮良間切の頭職(八重山最高の役職)に任命されたことを記念して造られたものである。
首里の貴族の屋敷をもとに造られたものであるが、当時の琉球王国時代において厳しい身分階級があり、身分に応じた屋敷を構えることが一般的であった。
そのため頭職がこのような屋敷を構えるのは違法であるとして、首里政府から5回にわたって取り壊しをするように命令されたものの、なかなかそれに応じようとせずようやく1874年になって茅葺きに改め、1879年に廃藩置県後に赤瓦に戻している。
1893年に探検家として知られる笹森儀助が宿泊し、その屋敷と庭園を見て沖縄の県下において稀なものであることを記している。
宮良殿内にあった古文書は、琉球大学に寄贈されて現在も保管されている。
宮良殿内の造り
建物は木造平屋づくりの本瓦葺きで462坪の広さを誇り、部屋数は12間、材料は総イヌマキを使用している。
これは高温多湿で湿気の多い八重山地方向けの木材で、建物が造られてから200年以上経過している今でも、非常に丈夫な状態で残されている。
特に庭園はとても見応えがあり、首里の庭園師城間親雲上の指導のもとに造られたものである。
周囲を石垣で囲われた庭園は、琉球石灰岩を主材料に琉球石灰岩を使用した五つの築山があり、石橋もかけられていて、フクギやソテツなどの植物も植えられている。
これは日本庭園の文化が取り入れられている貴重な枯山水庭園であり、上流階級の屋敷の庭園としてはとても保存状態が良いと言われており、国の名勝に指定されている。
屋敷は琉球石灰岩の石垣で囲い南西の中央に薬医門型式の門を建て、西側には裏門がある。
表門を入ると門瓦と土を積んだ築地屏のヒンプンがあり、表門と裏門の間には井戸が配されている。
ヒンプンの中央にある中門は、重要な祭事や慶事などのときのみに使われたものである。
八重山地方は台風が多いことから、建物が建てられてから何度か屋根は補修されているものの、当時の状態を非常によく後世に伝えており、まさに上級士族の格式を備えた貴重な建築物といえる。