奥共同売店のはじまり
沖縄最北端の集落として知られているのが「奥集落」である。
人口はわずか200人ほど、那覇の中心部から車で約3時間かかる秘境である。
細い路地に古い瓦屋根の民家が密集しており、自然豊かなのどかな場所である。
奥集楽の入り口近くには「奥共同売店」とよばれる売店がある。
コンビニエンスストアやスーパーなどがない奥集落にとって、ここはなくてはならない生活必需品を購入する上で、とても貴重な場所であるのだ。
この売店は一見すると普通の売店と何ら変わりがないように見えるが、1906年(明治39年)に一人の雑貨商が店を集落に設立し、日本でもっとも古い歴史がある共同売店であるのだ。
この共同売店とは集落の住民が共同で出資・運営する商店のことで、ここには助け合いの精神がある。
明治時代に入り貨幣が流通してくるようになると、お金がなくては暮らしていけない風潮に変わっていった。
しかしそんな中で貧しい人たちを支えあうべく、共同売店で得た利益は配当という形で村の人たちに分け与えていたのだ。
共同売店の売り上げで人々の医療費や学費など、様々なものに役立てていたのである。
今でも沖縄北部や鹿児島の離島に多く残されているが、年々減少傾向にあり沖縄南部の共同売店は消滅している。
奥共同売店では2006年には創立1000周年を祝う記念式典が行われている。
奥共同売店の事業とその性格
共同売店の事業は集落によって異なるものの、食料品、日用品、農業用資材の販売などが主である。
奥共同売店ではその他にも集落の農産物の出荷、電話交換、金銭の貸付、酒造、製茶、発電、運送などを行っていた時期もあった。
もはや売店という枠を超えて、いろいろな事業を行っていたのである。
助け合いの精神に基づいていることから、村人に配当することはもちろん、内部留保や村の行事などの資金にされることもあった。
集落が直営として運営するほかの、特定の人に運営を請け負わせる形態のものもある。
またよく産業組合や農協などを一緒にされることがあるが、これらとは異なり法人組織ではないことがその特徴である。