貝塚時代に属する浦添貝塚
浦添貝塚は浦添市の国道330号線沿いの伊祖トンネルの上にある、約3000年前の縄文時代後期の遺跡である。
観光地としてはややマイナーであるが、先史沖縄を知る上ではとても重要な場所である。
日本本土では縄文時代となるが、厳密に言えば沖縄ではこの時代のことを貝塚時代と呼び、この時代は約6・7000年前から平安時代までをさす。
この時期に沖縄発掘されている遺跡は、海に生息する生物や貝類が多く貝殻や魚の骨などが中心となることから「貝塚文化」と呼ばれている。
貝塚時代は早期、前期、中期、後期に分けられ、浦添貝塚は前期の区分となる。
伊祖トンネルの当初の建設計画では、トンネルの上を通る県道153号線と交差する予定であったが、浦添貝塚が発見されたことによってトンネルは交差しないで開通している。
沖縄の貝塚時代は縄文系で、山や海の動植物を採集して食料にする生活をした時代であり、日本本土とは異なる独自の歴史を歩んでいる。
日本本土が弥生時代を迎えてもその特徴である稲作文化を受け入れず、沖縄では平安時代までは狩猟文化を継続している。
浦添貝塚とその発掘調査
この貝塚はもともと浅い岩陰であり、丘陵の上には竪穴式住居跡が見つかっている。
1969年〜70年(昭和44年〜45年)の発掘調査で石斧、貝の飾り、骨で作った道具、石の臼のほかたくさんの貝殻などが発見されている。
特に九州の市来式土器が発掘されたことは非常に興味深いことであり、さらに奄美大島でよく見られる、人の爪やそれに似た爪形の文様を描く爪型文土器も多数出土しており、これは他の貝塚にない特徴といえる。
このように九州や奄美大島の文化交流が盛んに行われていたことを実証する遺跡でもあり、この地域と深い繋がりがあったことが伺える。
しかしながら交流はあったものの、独自の琉球文化を築いていたと考えられている。
1972年(昭和47年)には、九州との活発な交流をしていたことを今に伝える貴重な遺跡として、県の史跡に指定されている。