察度王と森川公園
森川公園は宜野湾市にある公園で、羽衣伝説発祥の地として知られている。
沖縄にはいくつか天女と羽衣が登場する羽衣伝説が語り継がれているが、ここ森川公園では、察度王が天女の息子であるといわれる羽衣伝説が伝えられている。
察度王は、琉球王国が誕生する前のいわゆる三山(北山・中山・南山)時代にいた王のことだ。
察度は人々の信頼を集め、浦添の按司となりやがて中山を治める中山王となる。
1372年には琉球から初めて中国の明との貿易を始めた王で、この王こそが天女の息子であると伝えられている。
森川公園のすぐそばにある宜野湾市立博物館には、天女の息子とされる察度王に関する資料が多数残されている。
ムイヌカーと天女伝説
森の川
森川公園の天女伝説が残されているのは、湧き水のある「森の川」と呼ばれるところである。
枯れることなくコンコンと水が湧き出る光景は、どこか自然の神秘さえ感じる光景である。
首里の歴史の中で水の湧き出るところは、人が集まり繁栄してきたといわれており、森川公園もその一つであり、森の川は通称「ムイヌカー」と呼ばれている。
伝説によると天女はこのムイヌカーに舞い降り、水浴びをしたところ、浦添謝名村に住む奥間大親がちょうど通りがかる。
彼は木にかかっていた天女の衣を隠してしまい、それを探して困り果てている姿を見て、自分が着ていた上着を着せて、家まで帰ってしまったというのだ。
そしてしばらく2人の生活がスタートすると、やがて二人の間に子どもが生まれた。
そして成長した子どもはある日、衣を見つけるとそれを歌にして口ずさんでいた。
そしてそれを聞いた天女は、衣を見つけて天に帰っていってしまったのだと伝えられている。
つまりこの子どもこそが、前述の察度王であると考えられている。
それについて真実であったかどうかはさておき、今でもこの天女伝説は、ここ宜野湾市では大切に受け継がれている。
毎年8月には「宜野湾はごろも祭り」が開催されており、察度王歴史絵巻行列、マーチングや青年エイサーなどのほか、花火大会も開催されている。
西森碑記と黄金宮
森川公園の中にはもう一つ、この察度王に関わる重要な場所がある。
「ムイヌカー」のすぐ近くにあり、約300年前に整備されたといわれるウガンヌカタ拝所と「西森碑記」である。
これは察度王の末裔の方たちが、先祖の徳と忍びために造ったものである。西森碑記の後にはうっそうと広がる緑があり、ただならぬ空気を漂わせている。
その神聖な空間は、思わず祈りを捧げたくなってしまうほどに張り詰めた空気が流れているのだ。
またもう一つ森川公園近くには、「黄金宮(クガニナー)」と呼ばれる場所がある。
ここは察度が王になる前に住んでいたといわれる屋敷跡であり、黄金がたくさん畑にあったと言われている。
そしてこの黄金によって、鉄を仕入れて農民たちに農具を与え、人々の暮らしや村を豊かにしていったのである。
ここはとてもひっそりとした場所であるが、その言い伝えによって遠方からも足を運びにくる人が多い場所である。